1 履 歴
フリガナ ヨネヤマ マサヒロ 性別


 - 年 - 月 - 日
氏名 米山 雅浩 男性
ローマ字
氏名
所属 外国語学部 職名 教授
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最終学歴・学位  -
 系・分野・分科・細目表
 
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 2 学歴・学位
年月

事     項


 3 職 歴
年月

事     項


 5 研究分野・内容
 5-1 研究分野・内容(記述式:350字以内)
近代アメリカ文学、現代ギリシア文学
 5-2 研究課題(今後の展開・可能性を含む)(記述式:350字以内)
・ニコス・カザンザキスの哲学と宗教性がもつ特異性を、昨今の過程神学の研究成果に準拠しつつ、カザンザキスの思想遍歴を踏まえ解明する。
・20世紀初頭の英米作家の日記、手記、回想、自伝等、一般に虚構と見なされない言説が、完全な虚構たる彼らの小説の構築にどう反映しているか検討する。
 5-3 研究助成等
区分 年月 名称・題目・機関名等
 5-4 資格・特許等
年月 名称

 6 研究業績
 年度  種類  
種類 著書、学術論文、テーマ等の名称 単著、
共著等の別
発行又は
発表の年月
発行又は発表
雑誌等又は発表
学会等の名称
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学術論文 “The Luck of Roaring Camp”再考 単著 2016年10月 名古屋学院大学論集 言語・文化篇 第28巻 第1号 21-29  
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要旨: 従来の読みでは,“The Luck of Roaring Camp”は,Bret Harteが史実と異なるカリフォルニア移住者像をもとに,彼らの非現実的な更生を喜劇的に描く一方,彼らの無残な破滅を感傷的に描いた,今日的価値のない作品とされてきた。本稿はHarteの意外な小説技術を紹介しつつ,彼が描いたものは,ロマンティックな感傷でも救いのないリアリズムの世界でもなく,manifest destinyを下敷きにした,第2の建国神話であると指摘した。
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学術論文 “A New England Nun”における事実とリアリティ 単著 2013年12月 名古屋学院大学研究年報 第26号 01-12
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要旨:
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学術論文 フラナリー・オコナーの「善人はなかなかいない」における曖昧な正義と皮肉な恩寵 単著 2012年10月 名古屋学院大学論集 言語・文化篇 第24巻 第1号 99-108
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要旨:
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学術論文 Elizabeth Bowen's "The Demon Lover": Into the Hinterland with the Demonic Wakefield 単著 2011年10月 名古屋学院大学論集 言語・文化篇 第23巻 第1号 15-21
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要旨:従来、“The Demon Lover”は、2度の大戦を経験した女性主人公が、そのトラウマから精神の失調をきたし幽霊を幻視する様子を描いたと読まれてきた。本論考は、主人公は終始論理性を維持し、かつての恋人も戦死せず、Hawthorneの“Wakefield”に匹敵する恐るべき執着で彼女を観察しつづけ、ついには、自ら運転するタクシーで街はずれの“hinterland”へ連れ出したと読み、「戦死した恋人が幽霊となって連れ戻しに来る」という伝説に由来する題名は、細部ではなく構造を表すと指摘した。
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学術論文 誰がナンシーを殺したか? 単著 2003年3月 名学大論集言語・文化篇 14-2 89-100  
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要旨:フォークナーの"That Evening Sun"は夫ジーザスに殺害されると信じたナンシーの恐怖を、実際に殺されたかどうか事実を伏せたまま、語り手が少年の視点で語った作品である。拙論では、語り手は既知の結論を隠し、ジーザスの粗暴な面を印象付けることによって、ナンシーが殺されたと理解する他ないように読者を誘導していることを、その理由とともに指摘し、彼女を「殺した」のは、他でもない、語り手自身であると論じた。
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学術論文 気の毒なミス・エミリーにバラを? 単著 2001年3月 名学大外国語教育紀要 31  
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要旨:ウィリアム・フォークナーの"A Rose for Emily"のエミリーは、作者自身の言を借りれば、婚約者殺害を余儀なくされ、その遺体と長年にわたり同衾した、気の毒な老女であり、一般的な見方もそれに近い。拙論では、殺害用の砒素を買ったあとに婚礼道具を揃えた事実と、彼女には死体に愛着を示す傾向があったことに着目し、エミリーが望んだのは死体となったホーマーであり、それを首尾よく手に入れた強い彼女には、同情のバラなど必要ないと論じた。
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学術論文 壮麗で破滅的な失敗作 ―Christ Recrucified試論 単著 2000年7月 名学大論集人文・自然科学篇 37-1 1-12  
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要旨:拙論では、カザンザキス研究者の批判を免れてきたChrist Recrucifiedを批判的に再読した。作者は思想を伝達するために、現代小説としては異例なほど強く読者を誘導したが、その効果は薄かった。主人公の性格設定が曖昧で、強さと魅力に欠ける一方で、個性豊かな敵役たちの活躍ぶりが作品の焦点を不明確にしている。結局、主人公の受難は壮麗ではあっても、キリストの受難とは異なり、畏怖の念を起こすこともなく、悲劇性も乏しかったと結論づけた。
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学術論文 Marital Truth in the Diaries of Charlotte Perkins Gilman and Charles Walter Stetson 単著 2000年3月 名学大外国語教育紀要 30  
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要旨:拙論では、シャーロット・ギルマンと夫が別々に書いた日記を子細に検討し、両者の視点に立って全体を俯瞰することにより、彼女の自伝や書簡からは知ることのできない彼女の結婚生活の真相を追求した。シャーロットという野心的である以外は平凡な娘が後のギルマンになる、いわばその「生成過程」を鮮明に提示した。日記という表現形式がもつ圧倒的なリアリティーと微妙な哀感を随所に伝えられた点で、日記研究という小さなジャンルの可能性を示すことができた。
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学術論文 “Red Leaves” -Tragedy Masked Under the Absurd 単著 2000年3月 名学大論集言語・文化篇 11-1・2合併 35-46  
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要旨:ウィリアム・フォークナーの"Red Leaves"は、フォークナー世界にあってはインディアン物に分類されてきた。しかし、この作品を論じた研究のほとんどは、インディアンではなく黒人奴隷を中心に書かれている。拙論では、インディアンたちの滑稽で冷酷な言動と逃亡奴隷の深刻な状況との対比を、不条理劇を背景に演じられる悲劇の構図で捉え、そのアイロニカルな設定が、敗北を承知で宿命と戦う黒人の崇高さを高め、その悲劇性を比類ないものにしていると論じた。
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学術論文 自己統合の福音書 ―『最後の誘惑』論 単著 2000年1月 名学大論集人文・自然科学篇 36-2 61-70  
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要旨:本稿はまず、カザンザキスの『最後の誘惑』の主人公イエスが悪魔の誘惑を克服しキリストとなる、その精神の過程を示した。次に、フロイトとユングの無意識に関する理論を応用しつつ、作中のユダがイエスの「影」や「超自我」として、混乱したイエスの自我を統合に導いた点を指摘した。あわせて、作者が共観福音書を下敷きにしながらも、人間イエスがユダとの共同作業によって十字架の死を成就するという、新たな福音書を企てたことを明らかにした。
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学術論文 A Revaluation of "Winesburg Ohio: Deciphering Its Fragmental Enigmas 単著 1999年2月 名学大外国語教育紀要 29 19-29  
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要旨:この連作短編小説集は、近代人男女の孤独と不安を巡って書かれている。前近代的な男らしさ・女らしさの思想に執着する者はグロテスクな敗北者とされる。ジェンダーの相克を止揚する者が、"Tandy"でいう「男であり女であることを越えた何か」であり、この新時代の男女こそが、「近代に生きる男女の成熟した生活」を可能にするのである。これまで謎とされて来た"Paper Pills"と"Tandy"が、作品集全体の主題を集約した部分と深く通底していることを指摘した。
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学術論文 Charlotte Perkins Gilman's "The Yellow Wall Paper": The Obsolescence of Sanity and the Liberation of Self 単著 1998年10月 名学大論集言語・文化篇 10-1 33-42  
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要旨:"The Yellow Wall Paper"は、これまで批評理論の道具に使われ、厳密な作品解釈は少なかった。拙論ではこの傾向を正し、その曖昧で不安定なテクスト内部の世界を、「正気の」言語で緻密に再構築し、その上で妥当な作品解釈を試みた。主人公の女性が限りなく狂気に近づくことでしか、19世紀アメリカの男性中心主義から解放されなかった皮肉を読みとり、この作品は、精神分析学的とフェミニズムの両面から捉えるべきことを指摘した。
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学術論文 カザンザキスの宗教性について 単著 1997年4月 名学大外国語学部論集 8-2 79-90  
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要旨:カザンザキスの哲学的箴言集『神の救済者』で示された宗教観(神観)の独自性について、ホワイトヘッドの過程哲学とアウグスティヌス神学との比較対照から論じた。拙論は、カザンザキスがダーウィニズム以降の神を、様々な根元的な矛盾を止揚していく「螺旋状に展開していく力」と捉え、その螺旋運動、すなわち神の「苦闘」に与ることが自分自身と神とを救済すると信じていたことを指摘した。
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学術論文 カザンザキスと自伝 単著 1996年4月 名学大外国語学部論集 7-2 35-45  
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要旨:本論はカザンザキスの自伝『エル・グレコへの報告』の、欧州「自伝」史における位置付けを定め、その顕著な特徴と作者の小説群の主題との関連を考察した。アウグスティヌス以来の欧州の自伝は、キリスト教への改心体験を核としているのに対し、『グレコ』は、少年期における信仰の喪失を中心とする。それ以降、作者はその空白を埋めるべく、新たな神、英雄を求め続けたのであり、その過程を次々と小説化し、「神が死んだ」時代を生きる人々の魂の救済を図っていったのである。
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学術論文 『その男ゾルバ』におけるディオニューソス的なるものと魂の救済 単著 1994年4月 名学大外国語学部論集 5-2 73-87  
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要旨:本稿は、近代人の「魂の救済」を目的に執筆された『その男ゾルバ』が「どのように」書かれたのかを論じた。ゾルバの人物造形には、ギリシア神話やニーチェ哲学が示す様々なディオニューソス像が反映し、ゾルバに深い陰影と雄々しさを与えている。『ゾルバ』は、危機の時代にあってディオニューソス的に強く忍従する生き方のモデルを示すだけでなく、人間と運命の間の絶望的な争いのなかに神聖な畏怖を呼び起こす点で、ギリシア悲劇的であると結論づけた。
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学術論文 KazantzakisとZorba the Greekへの道 単著 1993年4月 名学大外国語学部論集 4-2 89-99  
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要旨:本稿は、毀誉褒貶の激しい作家ニコス・カザンザキスの人気小説『その男ゾルバ』が「なぜ」書かれたのかを、モダニストとしての作者の、近代という時代への危機意識の点から明らかにした。作者畢生の主題である「同時代人の魂の救済」の可能性を、実在のゾルバを小説の主人公として復活させることによって実現しようとした意図を、作者独特の自伝『エル・グレコへの報告』と『ゾルバ』のいわば二重構造の中に発見した。
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学術論文 産業資本主義と狂者の抵抗 ―「バートルビー」試論― 単著 1991年10月 名学大外国語学部論集 3-1 55-62  
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要旨:「バートルビー産業」と揶揄されるほど数多くの研究論文が出版されてきたが、複数の批評理論に立脚して書かれた文献はきわめて少ない。本稿では、マルクス主義、精神病理学、ヒューマニズム等、バートルビー研究の代表的な方法論を筆者の理解でまとめなおし、相容れないこれらの方法論に共通点を見いだし、より多角的、総合的にこの作品を解釈する可能性を探った。
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学術論文 Herman Melville's "Bartleby": A Record of the 19th Century Modernized America 単著 1991年9月 名学大外国語教育紀要 22 109-117  
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要旨:一般的に、「バートルビー」の語り手は合理的で冷淡な資本家と見なされているが、本稿では、彼の性格描写を分析した結果、彼の本性は都会に住む平凡な一近代人であると捉えた。その語り手がバートルビーとの関わり合いを通じて、次第に自分の価値観に疑念を抱くようになり、ついには合理主義者らしからぬ行動をとるようになっていった。結論部では、その理由を視点論と構造論を展開しつつ解明を試みた。
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学術論文 近代アメリカのトリックスター神 ―『信用詐欺師』試論― 単著 1990年7月 「マグノリア」第5号  
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要旨:この小説の主人公はアレゴリカルな見方をとる批評家のあいだで、キリストの顕現とも悪魔の化身とも解釈されている。本稿では山口昌男氏の術語を援用しつつ、この主人公をトリックスターの近代的な一亜種と捉え、その一見無目的に思われる行動が、硬直した現実に生きる者たちの価値観に揺さぶりをかけ、異なった現実、異なった人間観を提示していることを指摘した。
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学術論文 『アブサロム、アブサロム! 』 ―クウェンティン自殺の謎を解く鍵― 単著 1990年3月 「青森明の星短期大学紀要」第16号  
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要旨:断片的な資料からサトペン家の盛衰についての物語を構築していったクウェンティンは、物語を語り終えたところで深い絶望に駆られる。本稿は彼の絶望が彼個人の言動に由来するのではなく、むしろ、愛する郷土の歴史、端的には人種差別に根ざしていることを指摘し、それが半年後の彼の自殺の原因を最もよく説明していると論じた。
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学術論文 "Little Sister Death" and Quentin Compson's Death by Water 単著 1989年3月 「青森明の星短期大学紀要」第15号  
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要旨:習作時代のフォークナーは「リトル・シスター・デス」と「ロマンティックな青年の水死」の2つのモチーフに執着した。本稿ではそれぞれが習作諸作品においてどのように扱われているかを分析し、この2つが同時にそして最後に用いられた『響きと怒り』において、空想癖のある主人公が、妹の無垢だった過去の日々を取り戻そうと入水に至ったことは、作者の想像力の展開からも必然の帰着であったことを指摘した。
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学術論文 An Interpretation of Quentin Compson's Death by Water: A Quest for Its Background 単著 1988年1月 上智大学(修士論文)  
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要旨:『響きと怒り』の作者は主人公クウェンティンの自殺の直接の動機について明言を避けている。本稿では、この小説と自殺の数か月前のクウェンテインを語り手として再登場させた『アプサロム、アプサロム』を対象に、隠された動機を探った。彼の自殺の背景には、死を、時間の流れを止め、永遠をもたらすものと考えるロマンティックな態度と、「呪われた」南部の歴史の重圧から解放されるための不可避の手段と見なす逃避的な態度があることを指摘した。
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口頭発表:研究発表 シンポジウム「フォークナーを読む」 共同 1985年10月 上智大学英文学会 第10回大会  
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要旨:本シンポジウムでは、フォークナーの『アブサロム、アブサロム』の語りを巡る諸問題について意見が交わされた。語り手クウェンティンは、サトペン一族の埋もれた盛衰の歴史を想像力によって壮大に物語る一方、自らサトペン一族や米南部全土を崩壊に導いた歴史の必然に深く巻き込まれ、身動きできなくなっている姿をあらわにしている。このような語りの二重構造について指摘がなされた。
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 8 学外活動
 8-1 本学以外の機関(公的機関・民間団体等)を通 しての活動
就任年月 退任年月 機関名、役職名等
 8-2 学会・学術団体等の活動
種類 就任、受賞等年月 退任年月 内容(学会・団体名、受賞名、役職名等)

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